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ホビージャパン連載1994年〜2003年

LING LINC



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ホビージャパンとの関わりは古い。最初の記事は単発ながら、80年、「マイティジャック」の復刻プラモデルが出た時、作例めいたものを作った。
84年末には、新作「ゴジラ」の上半身のモデルを作り、85年1月号の表紙になった。これは名前は出していない。
その頃、小学館でゴジラのジオラマの仕事をやっていた。
費用も手間もかけて、残り3冊分くらいのネタを撮影したのだけど、肝心の「ゴジラ」が興行的には当たっていながら怪獣ブームを去らしてしまったのだ。絵本は未完に終わった。
ゴジラの1メートルほどの上半身のモデルはパースを付けて樹脂で作った。実は、絵本の表紙用だったのだ。
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青山に店舗を出していた信越シリコンが店頭に飾りたいとHJから借りて行って、そのまま返してくれないままになっている。

87年頃、建築模型の会社に居た。
手元に本がないのでいつの号だか分からないが、50センチのラテックス製怪獣人形をHJ用に、簡単なジオラマで見せた。
その頃、青山にあるビリケン商会の姉妹店で高井戸にあるホームランという店で怪獣人形の個展をやらせてもらった。
連載は短期で何回やったか覚えていない。ガラモン、ペギラ、ゴジラ、海底軍艦など。
実は、80年頃にフィギュアの会合が千葉パルコのポストホビーであって、地元にいたライター業の師匠である安井尚志さんに呼ばれて出た事があった。編集長は、その時、ポストホビーの店員をやっていた。
その集まりには、後にヒゲの怪人と呼ばれるモデラーの小澤さんも来ていた。
そんな背景があったのと、同人誌仲間で、現在海洋堂で企画をやっている山本直樹さんが、HJでSF超兵器の記事を連載していた事もある。
山本さんから声がかかって「地球防衛軍」のα号を(建築模型の会社に居た)職場の仲間へ振って、ついでに怪獣の記事を書かせてもらったというわけだ。
「緯度0大作戦」のα号のキットの作例も、職場の仲間へ紹介してやってもらった。ぼくはメカ物は弱いので、自分では作っていない。
山本さんの記事は、「WWU」と言う1冊にまとまった。
前後するが、山本さんの知り合いのモデラーを総動員したのが、小学館のゴジラのジオラマだった。
のちにHJの編集に携わる一戸寛さんや、タカラを経てマーミットを起こす赤松和光さんらも、絵本用にミニチュアを作ってもらった。
2人とも特撮ファンで、特撮大会で知り合っていた。「宇宙船」の記事も書いていた。
要するに、怪獣の申し子のような人たちが、20代、地道にコアな仕事をやっていた。

HJで連載が始まる94年までの間、ぼくは完全にフリーになって、展示模型や「アスキー」の表紙の小道具を作ったり、企画書を増産していた。
栄進堂というバンダイの系列にあった会社でオリジナルのヒーローを作ったが商品にならず、あちこちへ企画を売りに持っていった。
直接その努力は実ってはないが、また出版物へ、関わるきっかにはなった。
ゴジラ関連の大人向け読本をやっていたので、流れ的にHJで怪獣の記事をやれたらと企画を出した。
編集長は快諾してくれて、その場ですぐ打ち合わせになった。
ぼくは20回分くらい、ざっと記事の予定をつくっていて、それがどう横へ広がるか、具体的に示せたので、編集部としても1つくらい、そんなものがあっても良いと思ったのだろう。
実際、HJはガンダムファンの高校生前後が公称ととしての対象になっているが、それはアンケートが返ってくる年齢で、実際はかなり上の層まで買ってくれている。
ぼくの連載の「LING LINC」は業界でもしっかり読まれていたのは、担当者が一番良く知っている。
それが100回続く裏付けになっていた。辞めたのはぼくの方からの提案で、区切りが良かったのと、いろいろ疲れたせいもあった。

GGJJ2255.jpgそれはともかく「LING LINC」は、多岐に亘った。
玩具、小道具、ミニチュア、縫いぐるみ、特撮セット、スタッフの取材、イベントの紹介、DVDの音声収録の裏舞台まで紹介した。
「宇宙船」よりフットワークが軽かったので、撮影現場の情報をすぐに反映させた。その際の失敗もあった。間違いをどう正すか。謝罪をどうするか。出来るだけ次の号でフォローしたものの、すべてではない。本音を言えば、それが最大の悔いだろう。
一方で、模型雑誌としての濃い視点の記事も書けた。
とくに、80年頃に知り合った同世代で、特撮スタッフになっていた方たちの協力は嬉しかった。あれがあったおかげで裏舞台の写真も撮れた。
ぼくは昭和の懐古的なテーマがあったが、平成作品の取材に関わりながら、どんどんそっちへのめっていった。
連載の1つの集大成はゴジラとウルトラの怪獣スーツに視点を合わせた写真集だ。3冊出して、その後、平成ウルトラをやる予定だった。