本多猪四郎


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本多猪四郎監督

nkk2k.gif怪獣ファンにとって本多猪四郎監督は、最高峰に位置する存在である。
ルーカスとスピルバーグ、コッポラが、黒澤明の映画「乱」だったか「影武者」だったかで来日した時、好きな作品は黒澤作品で、好きな監督は本多猪四郎であると答えたそうだ。
その頃、本多監督は、黒澤監督のチーフ助監督を務めていた。
もう映画から離れてテレビの演出をしていた。怪獣番組だけでなく、ゴルフ番組まで。それでも時間の余裕があって、近所のゴルフ場へ行くと、同期であった黒澤さんと一緒になった。
また昔のように映画を撮ろう!と黒澤さんに誘われた本多さんは、黒澤組で「影武者」から「まあだだよ」まで、チーフ助監督を任される。
名目こそ助監督だが、クレジットでは演出補と出る。
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メイキングの写真や映像を見ると、だいたい2人がいつも並んでいる。本当に映画作りが楽しくて仕方がない風に見える。
良き相談相手であり、黒澤さんの片腕だったのだろう。
もともと、この2人に加え、谷口千吉監督の3人が、山本嘉次郎門下の三羽烏であったそうだ。
3人とも背が高くて、並んで歩くと山本監督も遠慮したと言われている。

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撮影所内で歩く本多さんと黒澤さんを見た大森一樹監督は「ゴジラと七人の侍が歩いている!」と感動したそうだ。
「ゴジラ」と「七人の侍」は、ともに54年の公開。兄弟のような作品なのが面白い。
この2本がヒットを飛ばして、争議以来、傾いていた東宝を立ち直らせた。また海外に通用した。
政府はのちに、怪獣映画こそが外貨を稼ぐと邦画5社へ財政投融資をもちかけ、輸出用の怪獣映画を作らせた。
その基盤は、紛れもなく、東宝の怪獣映画であり、本多作品であった。

しかし、「七人の侍」2年くらいかけた大作なのに対して、たしかに特撮で話題を集めたものの本多さんの「ゴジラ」は映画が公開されるまできわもの扱いだったことは否めない。当時のほとんどの評論や解説がそう記している。
本多さんの演出は誠実で、スタンダードだ。だから地味に思われがちだが、同じ年代の他の映画と比べれば、どれだけ洗練されているか、よく分かる。
テンポは現在の方が早い。時代性もあるだろうしテレビの影響もある。ただ、ぼくにはテレフューチャーに見えてしまう映画がたくさんある。
まぁ、古典と呼ばれても良いだろう。好みの問題だ。
それでもファンは根強く昭和の怪獣映画に思いを寄せる。
1作目「ゴジラ」は返す返すもよくまとまっていた。日本人の心情がよく描かれていた。
特撮も本編(人間ドラマの部分)も溶け合って、まるでドキュメンタリーを見る様だ。子どもの頃のぼくは、67年にNHKで放映された「ゴジラ」が怖くて何度も何度も夢を見てうなされた。
たぶん戦争の思い出をもつ人と同じ空襲の怖さを感じたのではないか。いや、及ぶべくもないが。
本多さんはスクラップブックの端にこう書いた。「評論家には前評判の良くなかったゴジラをいちばん買ったのは海外のバイヤーだった。ゴジラはきわめて映画的だと絶賛した」と。
正確ではないが、そんな感じだった。
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ぼくらは79年に本多監督のお宅へお邪魔した。
同人誌「FERAS」というのを始めていて、3人で取材に伺った。それから数回、お邪魔する。
「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「モスラ」などの絵コンテを複写させてもらった。
「影武者」の最中だった。本多さんが居ないときは、奥さんが迎えて下さった。
成城学園は夏はとても暑く、冬はとても寒い。ぼくは品川の下町育ちなので、緑の多い世田谷区はとくにそう感じた。
駅から10分以上歩く。何度も道を間違えた。
ぼくらの稚拙な同人誌を「諸君らの将来にきっと役に立つ」と仰ってくれた。
それと同じ言葉をかけてくれたのは、怪獣造型の高山良策さんだった。
この2人ほど、良心的にファンに接してくれた人は他に類を見ない。

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きっと迷惑だったに違いないが、ともかく、高校生のワケの分からない質問にきちんと答えていただいた。
直筆で質疑応答もしてくれた。その同人誌は「neoFERAS」の別冊号で、いまとなっては本多さんを記録する貴重な意味を持つ。
「影武者」の撮影の合間に書いていただいた。

本多さんが亡くなった時、沿線の菩提寺でお別れの会が開かれた。
ぼくも同人仲間と出かけた。
久保明さんや中真千子さんが目の前を歩いていた。
大林宣彦監督が葬儀委員で、挨拶をした。大勢集まって、ぼくらはすみっこで小さくなっていたが、マイクの声は聞こえた。
それから献花が始まる。長蛇になった。5人くらいずつ花を1本ずつ、献花台へ置いた。
驚いた事に、左右どちらか忘れたが、黒澤さんと三船敏郎さんが右に左に別れて座り、いちいち頭を下げて参列者をねぎらった。
この2人は、長く仲違いをしていたそうだ。本多さんが呼び寄せたのだろう。帰りに、ロールスロイスまで静かに歩いて行く三船さんを目の当たりにした。力の抜けたお爺さんだった。
映画のあの迫力はどこにもない。無理をされていた様子。

ぼくらには、映画のあのスタッフたちへ返す事は何も出来ない。
でも生きている限り、ファンで在り続ける。これが一番、喜んでもらえる事だと思う。