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雑感


(再録)

少年サンデーと少年マガジンが揃って50周年 09-03-18

C01577.gif「少年サンデー」と「少年マガジン」が揃って50周年で、合同の同窓会をやった。というニュースを見た。
ぼくが読み出したのは幼稚園児だった65年頃。それから20年は、まず間を開かさないで読み続けている。実家が中華屋さんで、週刊誌は常備していたのだ。
この他に、少年キング、少年チャンピオン、少年ジャンプなどもあった。その点では、ぼくは子供の中でも恵まれていた。
ぼくが子供の頃はマガジン、サンデー、キングが水曜発売で、早い日は前の晩に本屋に並んだ。3冊を、親にお金を預かって買い求め、真っ先に読んだ。
サンデーとマガジン、どっちかと言うと、マガジンだった。
硬派なマンガが好きだった。「あしたのジョー」「巨人の星」はよく言われるけど、ぼくは、「墓場鬼太郎」「ウルトラマン」「タイガーマスク」「仮面ライダー」「デビルマン」など、テレビと連動したマンガが好きだった。
マガジンの兄弟誌に、「ぼくら」と「月刊少年マガジン」があった。
66年末に、「少年マガジン」は、「少年サンデー」を押さえて、100万部を記録した。それからライバル誌は、マガジン優勢で何年も運んでいく。
残念ながら週刊誌に人気が集まって、「ぼくら」と「月刊少年マガジン」は休刊した。「ぼくら」は「週刊ぼくらマガジン」になったが、これも休刊すると連載分は「少年マガジン」へ移行した。グラビア記事をさらに児童化して「テレビマガジン」が生まれる。
要するに、「タイガーマスク」や「仮面ライダー」などは、「ぼくら」や「ぼくらマガジン」のマンガとして企画されたのが始まりだった。ぼくは、それらも目を通していた。
その5年ほど前、64年に、講談社は、光文社の「少年」連載の「鉄腕アトム」のようなマンガのテレビ化を目論んで、「エイトマン」を企画した。マンガ化とテレビ化を同時に始め、商品開発を外部企業から受け付ける。この方式は、のちのメディアミックスの走りである。
今ここまで挙げたタイトルはすべてメディアミックスと言って良いだろう。
「少年マガジン」に爆発的な人気が出たのは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」を扱った事だった。
66年に、怪獣ブームが起きる。このブームはものすごくて、猫も杓子も怪獣だった。ガンダムのプラモデルがブームになったが、あれの比ではない。
研究者は、マガジンの100万部突破は怪獣の人気のせいだと解釈しているが、名物編集長の内田勝さんの著書を読むと、なんとなく怪獣には触れがたいようで、やはり、マンガ雑誌のプライドから連載の企画の勝利のようなニュアンスだったが、それまでの読者に加えて、児童層が買ってこその100万部であるのは明らかだ。

それはともかく、ぼくはこの時期のマンガや巻頭グラビア記事を、ぜんぶ、読んでいる。
巻頭グラビアの特集をつくっていたのはマルチメディアの企画者・大伴昌司だった。この名前は、梶原一輝などより、ぼくには大きなものだった。
科学や化学、未来に過去、文化と自然、文明と退廃、妖怪、妖術、怪奇、怪獣、コンピューター、産業、乗り物、人体、探検、冒険、予言、映画、ありとあらゆる内容のテーマが、毎回、目まぐるしく展開していた。
ぼくは百科事典を見る思いでマガジンを読んだ。
その大伴昌司は73年に、36歳の若さで亡くなった。以降は、アイドルのグラビアが多くなる。
「少年サンデー」は藤子不二雄を押さえていたので「オバケのQ太郎」に始まるマンガらしいマンガの王道があった。ギャグ路線が変わったのは、「男組」などのストーリーマンガが始まってからだが、双方の良さを採り入れたのが、高橋留美子の「うる星やつら」だった。
ぼくは「うる星やつら」にははまったが、もっとはまったのは、同じ作者が「ビッグコミックスピリッツ」へ連載した「メゾン一刻」だった。
86年までマンガ雑誌を熱中して読んでいた。しかし一人暮らしを始めてから資金が続かなくなり、また現実の世界が大変で、マンガを楽しむ余裕もなくなっていった。
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20代半ばのぼくは仕事人間になった。
まったく余談だけども、ぼくは変わっているから、高橋留美子の描く絵が好きで、きっとこの絵を描く人は素敵な人だと解釈した。美人でなくてもかまわない、才能へ惚れたのだ。
もっとはるかに後になって知り合った女性にやはり変わった人がいて、楽器を操る男の指先だけを見ていて感極まってしまうと言っていた。つまり音楽は素敵だが、その音楽を生み出す音楽家の指はもっと素敵なのだと。で、コンサートなどへ行くと、感動するんじゃなくて、性的興奮できわまってしまうのだとか。
ぼくはその話を聞いて、なんとなく合点がいった。
ぼくは実際には直に見た事ないけど、あの絵を描く高橋留美子の手腕に憧れた。その表現としてラムちゃんや響子さんの絵があった。絵を通して作者の精神性に憧れていた。
現実の世界で女ッ気がまったくなかったから、余計にロマンチックな気になったのだろう。
しかし、マンガに憧れたのは、その辺りまでだった。30代も過ぎると現実の女性の方が良いからだ。

そんなわけで、マガジンもサンデーも甘酸っぱい思い出がたくさんある。とても簡単に書ききれるものではない。
まぁ、自分の事なんかこの際、どうでも良い。
マガジンとサンデー、50周年、おめでとう。たくさんの思い出をありがとう。