マルサンの思い出


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怪獣玩具


マルサンの思い出

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自分の宝物はなにか?
有象無象のその人の価値観がある。もうこんな歳になるとたいていは家族とか家とか車とか、あるいは思い出や、愛!などと言う人も多いはずだ。
ぼくなぞ、物欲に凝り固まった人間だから、宝となるとやはり文字通りカタチある存在になってしまう。つまり、躊躇なく、マルサンの怪獣人形と答えてしまう。
しかし残念ながら当時ぼくがもっていた人形が手元にあるわけではない。
あれは小学校へ入ってすぐ、親の熱心な悪魔の囁き(爆)によって卒業させられた。従兄弟へあげたり幼稚園のバザーへ持っていったり。
それでも高校生の70年代の終わりから失った友と再会するかのように躍起になって集め出した。以来、実は、現役当時の2年の間よりもはるかに長く、現在の人形たちと一緒に居る。
70年代後半というのは、ポピーのキングザウルスシリーズが出て来た頃で、まだマルサンやブルマァクの怪獣は在庫が売っていた。郊外へ出たり都内でも倉庫を持っている玩具屋を回ればそれなりに手に入った。
ポピーのより大きいから500円だった事もある。それにオレンジやアークもスタンダードを出していたから違和感もない。
一気に減りだしたのは、ポピーが回収したからと噂が立った。そりゃ、同じような値段なのに質量で倍も違ったら商売上がったりだ。企業として当然だろう。
キングザウルスは硬くて小さい事で、かえってリアルに見えたが、大人へなりかけのぼくにも、何か大事なものが欠けている気がしていた。
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マルサンの怪獣の最大の魅力は、少しの可愛らしさにある。
少しを超えると媚びてしまって、ダメだ。
怪獣はグロテスクで流通問屋が苦虫を潰したそうだが、もしリアルなものを出していたらたしかに失敗したかも知れない。といってあれ以上、可愛かったから、遊びようがなかったかも知れない。
それと色。
メタリックカラーは、当時のクレヨンやクレパスにない。いや正確には、48色くらいになると金と銀が入っているが。メタリックブルーやメタリックイエローはない。その色の珍しさというか迫力に圧倒された。
思い出すのは、帰りの暗いタクシーの中で外から入ってくるヘッドライトに照らされたガラモンの輝き! そういうものがぼくの衝動へつながっている。
ガラモンは武蔵小山商店街の入り口にある玩具屋で買い、その並びの食堂で食べた。帰りはタクシーだった。そこまで覚えている。
いくつかそんな思い出がある。同じ商店街の玩具屋で売れ残っていたナメゴンに小学校の時に遭遇した。ある時そんな風景がフラッシュバックする。
ぼくの住んでいた中延は下町だったから、玩具屋、文具屋、本屋、レコード屋、お菓子屋が目の前に並んでいる。少し脇へ入ると駄菓子屋と映画館があった。商品の申し子なのだ。
ウチは中華屋だった。週に一度の休みに、両親はあちこちへ連れて行ってくれた。渋谷、新宿、大井町、蒲田、銀座、浅草。
はぶりが良かった時期で、自家用車がない分、いつもタクシーだった。ぼくは車の中で包装を解いて怪獣で遊ぶのが好きだった。家まで我慢出来ないのだ。
そうして怪獣たちは集まった。祖父がこれまた初の内孫だったので、日ごと土産に何かを買って来る。ポリエチレンのオモチャを入れる篭が3段、4段になる。図鑑も片っ端から集まった。
かなり乱雑に扱う子どもだったから、本に波線があるとぜんぶ切り取った。
ぼくはソフビのヘッダーにまったく思い入れがない。すぐに取ってしまったからだ。
近所の子どもが持っていってしまうので、足の裏に名前の頭文字<マ>などと書かれた事もあった。
怪獣はまんべんなく遊ぶ。中にはアルケロンのように小さいヤツが居て、可哀相だからガメラと兄弟という設定にした。日東のガメラは通常のより大きかったからちょうど良いコンビになる。
遊べない怪獣は可哀相に感じた。ゴローもそうだ。どうみても武器もないし強そうでない。
色違いも黙っていられなかった。親も祖父もなんだかんだと色違いまで買ってくれた。
なんせ、一日の半分を一人で過ごさないといけない。
当時、ソフトビニールの怪獣人形は、ぼくは単に、怪獣と呼んでいた。
怪獣を買って!と言えば、ソフビ人形の事だ。
66年のクリスマスの様子を8ミリに撮ったものが残っている。今は実家から探さないと出て来ないが、コタツの上に新発売のアボラスを乗せて、電動ブリキゴジラがのしのし歩いて押し倒す場面が入っている。
まさかそんなものが大人になって宝物になると思わないからオモチャ箱の写真など撮っていない。
ぼくは絵が描けない子どもで、最初に描いたのが「忍者部隊月光」で、その次がいきなり怪獣になる。「ウルトラQ伝説」の扉へ載せたペギラの絵はソフビを見ながら幼稚園のぼくが描いたもの。
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66年はぼくがまだ幼稚園で、「ウルトラQ」「ウルトラマン」が始まって、67年、小学生になった年に「ウルトラセブン」が始まった。
しかし「セブン」の途中で、映像も玩具もつまらなくなった。人形やプラモデルもとたんに訴求力が失せた。
マルサンのユートムあたりは買っていない。マグマライザーも断念した。
「セブン」はソフトビニールよりプラモデルに熱中していた。キャラクターよりメカニズムに惹かれたからだ。
でも、3機分離合体のウルトラホーク1号は、映像で見るような迫力が出ない。どうしても、あの動力がイヤだった。車輪など要らないのだ。
3機分離合体は「キャプテンウルトラ」のシュピーゲル号の方を先に買っていた。「宇宙家族ロビンソン」の主力プラモも買っていた。
よくそういう大型サイズのプラモデルを買ってもらうのは金持ちの・・・みたいな言い回しをするけど、日銭の入る商家の息子は割と買ってもらっている。そういう時代だった。
怪獣が飽きた理由に、怪獣ブームが陰りを見せて、妖怪ブームやスポーツ根性ものブームが来た事もある。
ぼくも部屋で遊ぶより友だちと外で遊ぶようになった。
それでもやはり他人より早く月球儀や顕微鏡を買ってもらった。
こうして書いていると、なんだかしょうがない人生だと思う。本当に物欲に支配された子どもだった。反省しています。
71年の第2次怪獣ブームとその少し前の「ウルトラファイト」の頃に怪獣熱は再燃した。
ブルマァクの初期分はなんとなしに買っている。8つ違いの妹が生まれると、なぜか妹も怪獣人形が好きで、買ってもらっていた。
反対に、ぼくはだんだんと距離をおいた。
はまったのは「仮面ライダー」だろう。自転車があったから。サイクリング車のブームが来る。アイドル熱も出た。
それから、中学受験も来る。
ぼくの暗闇の時代は、労して入った大学附属の中高6年間だった。良い学校ではなかった。良い思い出はほとんどない。
怪獣と再会したのは、暗夜を照らす灯りに見えたからなのだ。

怪獣たちは今、いくつかは机の脇にあり、大半は段ボールへ入れて押し入れにある。20代の頃は嬉しくて棚に並べていた。でも色焼けしちゃうんですね。蛍光灯の紫外線に。結果的にしまっている方が綺麗だったりする。
あとどれだけ生きているか分かりません。墓場まで連れて行けませんからね。どうするんだろうか、たまに複雑に思います。


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父が塗ってくれた、らくがきシリーズのウルトラマンに入っていたものと同じ、マルサンのカラーセット。これと筆が付いていた。


LinkIconマルサンの怪獣を考える