新宿とぼく2


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新宿とぼく 2


(再録)

10-05-05 ランチと散歩番外編

1479828221_31.jpg夜の新宿、裏通り〜っていう歌がありましたねぇ。
久しぶりに新宿へ出た。
一昨年、昔やったロフト/プラスワンのイベントで知り合った人たちが久しぶりに集まって、同窓会を開いた。
ぼくはそれを欠席した。懐かしい皆さんだった。今みたいな情けない体たらくで会うのは気が引けた。だいたい、大事に思ってくれる人がいる事が照れくさくてダメだ。感情が爆発してしまう。それでも幹事らが忘年会をやるのでそこへ顔を見せた。
それが数年ぶりだった。
新宿はどんどん変わる。ロフト/プラスワンはコマ劇場の脇にあったのでコマが無くなるのも寂しい気がする。
もともと祖父が通っていた会社が駅前にあって、新宿はよく連れて行ってもらった。幼稚園へ入る前から。ぼくはお爺ちゃん子だった。
車で一緒に会社へ行って、手の空いたどなたかが面倒を見てくれていたそうだ。両親がやっていた中華屋は狭いのに若い衆が2人いるほど繁盛した。
祖父は両親の代わりにぼくを可愛がり、ぼくが幼稚園(なんと4年保育!)へ行くようになっても会社へ連れて行った。
どういう会社なんだ(笑)。
尾津さんと言う、新宿の親分がもっていた建設会社の重役だった。
尾津さんは戦後の新宿を取り仕切った闇市のボスである。先見の明のある人で、闇市の中にマーケットを作った。これが闇市に適正価格をつくったのだそうだ。
そういう時代が終わって、尾津さんは趣味を活かして歌舞伎町で骨董商(主に、刀関係)をやった。また、尾津さんがもっていた建設会社へ、祖父が呼ばれた。
祖父は、尾津さんの会計をやっていた。尾津さんの手腕を真似たのか、やはり闇市のマーケットと同じように、自由が丘デパートを作った。現在ある駅前の一角である。
ある時、部下に社判を利用されて責任を取って屋敷を売り払い、自由が丘デパートの会長職を辞めた。そこで尾津さんの会社へ入った。
祖父はエライ人だった。荏原区(品川)と目黒区の区議、都議をやった。
そんな経緯があって、尾津さんに信頼された。
幼い頃、尾津さんの骨董商の店へ行った事がある。小学校へ入る前だと思う。
尾津さんは奥の部屋の中にいた。四隅に透けるカーテンをかけたようなベッドへ横たわっていた。
5つか6つの子どもへ1万円札を渡す。でもぼくが欲しかったのは、店内に飾ってある刀や兜なのだ。
祖父が通った尾津建設は駅前デパートの真ん前である。
ルミネスト(マイシティ)は、昔は駅前デパートと言ったのだ。そこの舶来品玩具を祖父はよく土産にしてくれた。
キャプテンアクション、スペースマンという60年代のアメリカの玩具が身近にあったのはそのためである。
そんな想い出と新宿は重なる。ぼくにとっては、懐かしい町だ。
映画もたくさん観た。中高が私立で通学の途中にあったので、よく下りた。
ロフト/プラスワンのイベントは、だから快く引き受けたし、ゆかりのある新宿へ通うことが嬉しくて、あしかけ5年で30回やった。
新宿へ出ると、懐かしい空気を吸うことになる。

(略)

場所を移して、ゴールデン街をはしご。
今日、声をかけてくれたのは、30年前に怪獣の同人誌をやった仲間で、久しぶりに1対1でたわいのない話をした。
30年前、ぼくは高校生で、彼は中学生。そんな連中が集まって、同人誌を作ったり上映会をやった。そのうち商業誌に関わる仕事仲間になった。
だから、30年分の話が行ったり来たりする。
残念なのは、30年とか経っちゃうと、その間に知り合った人も鬼門へ入る。次は50代だからなぁ。

プラスチックモデル
図書室

そんな名前の、そんなコンセプトの、飲み屋。5、6人で一杯になる。
ゴールデン街は個性の塊だ。どんな店も在りだ。
誰か、ぼくに店を任せると、おかしな、イイ店を作りますよ。