ガラモンを作る


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怪獣人形・ガラモンを作る

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ぼくの場合、幼稚園の時に感じた事を、高校生の時に実践出来た事が、生涯をオタク道を貫かせるきっかけになっている。
若い時の想いってスゴイと思う。
特撮のマニア向け本が出始めた頃。ぼくはひざを叩いて、成田デザイン高山造型こそが神!説を称えてしまった。称えたのは同人誌だ。
学校の授業なんてとたんにツマラナくなる。
要するに、ツボなのだ。コレが求めていた事なのだ、と気づいたのだ。
東宝怪獣も好きなんだけど。それとは異質の心地好い感覚がウルトラ怪獣にはあった。東宝怪獣がスタンダードな直球なら、ウルトラ怪獣はここぞという時の変化球。
だからゴジラの人形も作ったし、キングギドラも興奮しながら作った一方で、ガラモンやレッドキングの人形にはもうまったく別の楽しみを感じて作らせてもらった。
東宝怪獣が既存の動物の延長線にあったのに対して、ウルトラ怪獣は既存の動物はヒントに過ぎず、デザインの面白さがあった。
それは並みの大人が教えてくれる世界ではない。特別な感覚があった。
少し話が遡る。
66年の当時、成田亨の怪獣カードは宝物ではあったが、藤尾毅や柳柊二の描くウルトラ怪獣の方が、本家の人より迫力を感じた。
成田さんの絵は挿絵画家の絵とは違って、美術の先生がちゃっちゃっと描く大人びた絵なのであるが、それが子どもには理解出来なくて、ちょっと変!に感じていた。ところが、そのちょっと変!なのが、ずっと残る。
そして高山さんは、当時、「少年マガジン」や「アサヒグラフ」で紹介されていたので、ぼくは世の中にはエライ人が居るものだと感動をしていた。
ウチは中華屋で、週刊誌のさまざまが置いてあった。怪獣記事になると優先的にぼくの宝物になった。
名前は覚えられなくても、円谷英二とともに、成田亨と高山良策の存在は、幼稚園のぼくには神様のようだった。
そうして高校生の時に同人誌で、成田高山怪獣を採り上げ、本人に会えたのだから、最高の気分だった。
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50センチの怪獣人形は、小学館の絵本の延長線で始めたので、83〜84年くらいの出来事になる。ぼくが22か23才の時。
ゴジラのジオラマの後に、ウルトラ怪獣のジオラマをやりたかった。
編集部から予算をもらって、ガラモン、ペギラ、バルタン星人、ネロンガ、レッドキング、ウルトラマンなどを作った。
しかし企画は流れてしまった。待望の大作復活「ゴジラ」の肩すかしの出来に、ブームが潮を引く様に去ってしまったからだ。
その後、少し呆然としつつ1年間、仕事を求めた。幸い、85年に建築模型の会社へ入った。
面接へ行ったら10人以上来ていた。ぼくは絵本で使ったジオラマのポラロイド写真のファイルを面接で見せたら社長にたいそう気に入られて使ってもらえる運びになった。
怪獣人形はその頃も作っていて、初代ゴジラが評判良く、8つくらい、買ってくれる人が現れた。
型があればいくつかは複製出来る。
型があっても複製が大変なのは、ガラモンだろう。なんせトゲトゲはぜんぶ手作りになる。
トゲトゲは、高山さんに直に削り方を教えてもらった。何のことはない。
おばさんが、ウレタンをハサミで削って見せたら、そうじゃないと、高山さんが削って見せた。それをもらった。
高山さんは、美大生をバイトに雇っていて、大雑把な全体的な作業を手伝ってもらっていた。
ガラモンのトゲトゲも彼らに任せるが、けっきょく、デザインの意向をくめるものでなくて、彼らが帰った後、ぜんぶ高山さんが手を入れる羽目になる。そんな話の成り行きでだった。
ハサミは日本橋の木屋という専門店で探して来たアールの付いた刃のハサミを使う。ガラモンのトゲトゲはアールの付いた断面で多角度的に削られている。
ぼくはその話がいたく面白くて、東急ハンズでやはりアールの付いた小型のハサミを探して、ガラモンのトゲトゲを削った。かなりの数だから面倒だったが、かなりの数をこなすからこそ、説得力が出て来ると実感した。
ちゃんと瞼も口も開け閉めが出来る。指だって動く。
後日、「ホビージャパン」で紹介した。86年の後半。切り抜きしか手元にないので正確には分かりません。
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