新宿とぼく


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大人になったぼくは趣味が高じてオタクを商売にする事が出来た。そこへ到るまで紆余曲折していろんな下積みをしたけど、怪獣の本をずいぶんと出す事が出来た。
その関係で新宿のライブハウス、ロフト/プラスワンで怪獣や特撮のイベントを任された。
新宿は懐かしい町だ。
中高時代は途中下車して映画館へ行った。でももっとも思い出深いのは幼少の頃だった。
新宿へ出る度に、新宿で働いていた祖父や尾津さんを思い出す。
以下、SNSで一度書いた文章ですが、そのまま再録します。

(再録)

09-09-24 東京タワー

墓参り。
祖父の33回忌と祖母の47回忌。
大好きだった祖父はぼくが中3の時に亡くなった。祖母は1歳の時だからほとんど覚えていない。チャキチャキの江戸っ子で、気の強い女性だったそうだ。
母方の先祖は東麻布で江戸時代から続く大きな米屋をやっていた。
養子に来た祖父が成人して、博打の形にその家を取られた。大正時代のあたりか? 本家は九州の方へ都落ちしたそうだ。
祖父は任侠の人だった。戦後、新宿のドンと言われて闇市を取り仕切った尾津喜之助さんの弟分になった。
「光は新宿から」をスローガンに闇市は巨大マーケットになり、新宿は栄えた。
尾津さんの一代記はここで書くと書ききれないので省略するが、祖父は真面目で義理堅い人だったので会計監査を任された。
その後、祖父は独学で学び、区議と都議をやった。目黒区の上下水道を完備させた。
政治家を辞めると自由が丘の駅前の商店街をまとめて尾津さんが新宿のマーケットを作ったのと同じ手段で、現在の自由が丘デパートを作った。
初代会長として名前が残っているはずである。が、部下に社判を悪用されて、責任を取った。
自由が丘と都立大学の間のあたりにあった家屋敷を処分したそうだ。ぼくはそこで生まれたのだが、物心ついた頃に品川区の中延へ移った。
母は実は養女だった。したがってぼくは祖父と血のつながりはない。ましてや本家(つまり墓参りに行った先祖代々のお墓の中の人たち)とは形の上でのつながりでしかない。
でも家族は家族なのだ。
母は気の強い祖母から自分の子供でない真実を高校生の頃に聞いたそうだ。まぁ、グレたんでしょうね。当時としてはお金持ちのお嬢さんだったから。
そのうち駅前でバイトをしている頃に父と知り合う。
父は新潟出身で、叔父に育てられたそうで、ともに境遇が複雑だった事で引き合ったのだろう。けれど、ぼくが生まれる前に1人、堕ろしているそうだ。結婚を反対されたのだ(でももし、ぼくに兄か姉がいま居たら? どんなに頼りに出来た事か・・・)。
祖父にしたら相手を選びたかったのだろう。でもま、仕方がない。仲良くなった2人を裂ける親なんていないのだ。
そして結婚し、ぼくが生まれ、移転した。
借家住まいになった中で、父は祖父に店を出してもらえた。中華屋さんを始めた。店は高度成長期の勢いもあって儲かった。
父に自信が付いてくると、ことある毎に祖父と敵対した。
祖父はその頃一緒に住んでいて、尾津さんの建設会社の常務として新宿へ通っていた。
部下が車で送り迎えしていた。祖父は任侠の人だったし、尾津さんの所は大親分だから、危ない感じの若い衆がたくさんいた。車もそんな人が運転していた。
祖父は連日連夜、新宿のデパートでぼくのために舶来品の玩具やお菓子を土産にしてくれた。60年代半ばの話。
ぼくが怪獣フリークになったのは、好きなものであった怪獣のアイテムを祖父が次々と買って来たせいもある。
当時は、マイシティを駅前デパートと呼んでいた。その真ん前に会社があった。
尾津さんの拠点は歌舞伎町にもあった。趣味で集めた刀や兜の骨董商をやっていた。ぼくは祖父に連れて行かれて、奥の間でベッドに休む尾津さんと面会し、お小遣いだと1万円札をもらった事を覚えている(幼稚園の子供へですよ!)。現在の貨幣価値へ直すと5万以上だろう。
祖父は定年退職すると、行く宛のない若い衆を引き取ってテキヤの親分を引き受けた。ぼくは子供の頃からもんもんの入った人や小指のないお兄さんをずいぶん見てきた。
その頃は祖父は別宅へ移ったものの羽振りは決して良い物でなかった。
ぼくは小学生になっていた。月に1回は自転車を漕いで隣町の祖父の所へ泊まりに行った。祖父はその度に2千円を小遣いにくれた。
ぼくは千円を戻して、今度もらうからと言うと、祖父は嬉しそうに苦笑した。
私立の小学生だったぼくは私立中学の受験に成功した。
祖父はなにをして欲しいかというので、水族館へ行きたいと言って、連れて行ってもらった。
祖父は退屈そうだったけど、考えてみれば、祖父と出かけたのはそれが最後になる。祖父はその3年後亡くなる。
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菩提寺は麻布台にある。アメリカンクラブの真ん前にお寺さんが並んで居て、坂の途中のある小さなお寺がそこ。坂道から東京タワーがど~んと立っているのが見える。
つい最近まで、お墓の上に東京タワーが生えているように見えたのだが、隣にビルが建ってしまった。
東京タワーまで歩いて3分。子供の頃は東京タワーで食事をするのが法要の帰り道の慣わしだった。
父もぼくも車を運転しないのでこういう日はタクシーを利用する。さすがにぼくは自宅からタクシーを拾う事は出来ないので、浜松町で車を拾う。
なぜか帰りは歩く。増上寺の脇を散歩するためだ。今日もそうした。
母と妹、それに甥と姪が先に来ていた。父と妹の旦那は仕事中。本当は大阪の叔父も来るはずだったが、体調が良くないそうだ。
5人で法要を受けた。
お坊さんは、先代の息子さんで、それでももう高齢に入る。
どうしてお坊さんは包容力があるのだろうか。滅多に行かないのに、温かく迎えてくれる。小さなお寺である事が、かえって家族的な空間をつくってくれる。
合掌して、ぼくは祖父や祖母やご先祖さまへどうにもならない人生を報告した。
(後略)



そうして、新宿に縁のあったぼくが、なんだかんだと歌舞伎町へ通って打ち合わせをしたりイベントへ臨んだり、明け方のライブ明けに白ずんだ道を歩いたり、忙しく新宿と関われたのは、とても感慨深い。
いつまでも、懐かしい町である。


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