電撃・小松崎


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電撃ホビーマガジン連載1999年〜2001年

電撃特撮通信



第1回 小松崎茂

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雑誌の創刊号は永久に語り継がれる。連載の第1回目でもあったし、小松崎茂の取材に決めた。
小松崎さんは、以前にも取材させてもらっている。西村祐次さんが小松崎さんと懇意にしていたので紹介の便宜を図ってもらった。
前回と今回の違いは、小松崎邸の火事があった事だろう。最初行った時はセピアカラーに染まった絶版プラモデルの箱絵が積んであったし、貴重な画稿もたくさんあった。そのほとんどが消失して、新しい仕事部屋になってはいたが、小松崎さんの好きな南部鉄の灰皿や絵筆はいくらでもスペアが効く。
小松崎さんは創作する人だから、惜しいのは集めていた資料だけだと語った。絵はいくらでも、これから描けば良いと。
たくましいのは戦中派ですよ。戦争を体験して、戦後を生き延びて、昭和の激動の中で仕事をしてきた人だから、火事くらいなんでもないのだ。
小松崎さんが亡くなって9年が経つ。この取材は99年だから2年後に亡くなった事になる。若い人へ向けた遺言のような話だった。

----戦後、人様のものをかっぱらって食ったこともあった。そういう時代だった。法律を守っていたら、みんな餓死しなきゃならなかった。わたしは線路側に住んでいたものだから、闇物資を運んでいるやつらが電車から飛び降りるんだな。
彼らに割りをもらったときだけ食うに困らない。ただ、薪がないと米が炊けない。
それでね、谷中の墓地の所にアパートがありまして、塔婆(とうば)や墓標を持ってきて、近所の人が薪にしていたわけ。
おれたちもそれをやったんだ。
そのうち、とんでもなくいい墓地に出た。見たらな、徳川家光公の墓地だ。偉い人の墓がずらーっと並んでいた。荘厳な気がしてね。
それ以来、ものをかっぱらうということが出来なくなりました。
そんなことがあったから、あとでお坊さんに来てもらって回向(えこう)しました。
いまだにやっぱり、心の中に悔いが残っている。
人間ってのは、正しく生きるのはとってもむずかしいけれど、道を踏み外したとしても元の正しさに返ればいいんですよ。
人間の性は悪なのか善なのか、わかりませんけど、もしも悪いことをやったなら、一生かけて償うものだ。
----人間の分というのはそう大きいものではない。個人の力は知れたものだ。
あたしはね、天から与えられた腕で自分の仕事をやる。
昔、自分が悪いことをやったなぁと思ったら、償いをしなきゃ。いくら食えなくても人のものをかっぱらうっていうのは良いことじゃない。それに対する償いは、全力をつくして仕事をすることだ。